最初に伝えたいこと
・タトゥーは悪なのか?本当に怖いのか?
・「自己表現」と「社会ルール」の間に揺れる現実。
・この記事では、実際にタトゥーを入れて生きてきた筆者が「日本社会でタトゥーとどう付き合うか?」を本音で語ります。
こんなとき、ありませんか?
「タトゥー入れたいけど、仕事や将来が不安…」
「海外では普通なのに、日本だと犯罪者扱い」
「温泉・ジム・プール、行けない場所が多すぎる」
そんなモヤモヤ、持っていませんか?
私もずっと感じてきました。入れる前、入れた後、そして今も。
私、タトゥー入ってます(でもちゃんと生きてます)
はじめに白状します。
私、タトゥー入ってます。しかも複数。
とはいえ、背中に龍が飛んでるわけでもなく、首筋にバラが咲いてるわけでもありません。
小さいワンポイントを、数か所。
たとえば腕の内側にちょこん。
足首の内側にひっそりと。
ファッションで言えばピアスみたいな感覚。
自分にとっては「自分を思い出すための印」のようなものです。
でもこれ、日本では“社会的爆弾”になるって知ってましたか?
温泉に入れない。昇進も危うい。
これは実話です。
ある日、職場の懇親旅行で温泉旅館に行ったときのこと。
内風呂に入ろうとしたら、入り口にこんな貼り紙がありました。
「刺青・タトゥーのある方の入浴は固くお断りいたします」
…ですよね〜〜〜(涙)
しかも貼り紙だけじゃなく、フロントで直接止められました。
しかたなく部屋風呂で我慢。外から聞こえてくる笑い声が、やけに遠く感じた夜でした。
さらに言えば、タトゥーがあることが社内でバレた場合、昇進に影響する可能性もあります。
私も一度、会社で腕をまくったときに「…あれ?」と微妙な空気になったことがあります。
何も言われなかったけど、妙に気まずい。次の日から肌色のシールを貼るようになりました。
じゃあ、なんで入れたの?
「そんなに面倒なことになるなら、なんで入れたの?」
と聞かれることがあります。
答えはシンプル。入れたかったから。
・ある節目で「自分を忘れないために」
・仲間と一緒に「決意表明として」
・単純に「カッコいい」と思ったから
どれも軽く聞こえるかもしれませんが、当時の自分には本気でした。
あの時の想いは今でも忘れていません。
ただし、「また入れるか?」と聞かれたら、正直ちょっと悩みます。
文化と習慣のギャップ〜なぜ日本はこんなに厳しいのか〜
海外では、タトゥーはごく一般的な自己表現手段です。
アメリカでは政治家や教師でもタトゥーをしている人は珍しくないし、
タイやフィリピンなどでは伝統や信仰の意味も込められている場合もあります。
でも、日本では依然として「反社会的」「怖い人」というイメージが根強い。
これは戦後のヤクザ文化や社会通念の影響もありますが、正直、今の時代に合っていないと感じます。
私たちが今求められているのは、「見た目で判断しない価値観」のはずです。
でも現実には、肌にインクがあるだけで敬遠される。それが日本の現状。
結論:タトゥーは恥じゃない、でも隠せ
ここまで語っておいて何ですが、今まだ入れていない人には「入れない方が得」と言います。
タトゥーは、誰かの評価を下げる材料にはなっても、上げる材料にはなりません。
日本で生きていく上で、損の方が多い。これは間違いないです。
でも、すでに入っている人へ。
それは“あなたらしさ”のひとつです。堂々と生きましょう。
ただし、社会との摩擦を減らすために「隠す努力」は必要。
私は、日々肌色のシールを貼って現場に立っています。
夏場はちょっと面倒くさいけど、それだけで誰にも迷惑をかけずに済むなら安いもんです。
タトゥーは恥じるものではありません。でも、隠せるなら隠せ。
それが今の日本で、自分らしく生きるための現実的な戦略だと思っています。
最後に伝えたいひと言
日本でちゃんと生きていくなら、タトゥーは不要。
でも、自分を出すための手段として、タトゥーはあってもいい。
その上で、“隠す”という選択が、最大の共存術なんじゃないかなと思っています。
あなたの話、聞かせてください
タトゥーに対する考え方、経験、賛否、どんな意見でも歓迎です。
コメントやDMで、あなたの“本音”を聞かせてください。
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